阪神間モダニズム展実行委員会(編)『阪神間モダニズム―六甲山麓に花開いた文化,明治末期-昭和15年』1997年,淡交社,pp.99-100
【コラム】白鹿館
銘醸地灘五郷のひとつ西宮郷の臨海道路に沿って,灰褐色のコンクリート壁が延々とつづく。壁は街区に沿って折れ曲がり,結局,長辺百数十メートルほどのこの街区全体を囲んでいる。無装飾の壁面に規則的に並ぶ窓の上下には,ごく控え目なまぐさ様の装飾があるのみで,内側をうかがうことはできない。この建物が,昭和4年に建設され白鹿館と名づけられた辰馬本家酒造の酒蔵である。竹中工務店の設計施工。主任・鷲尾九郎のもと石川純一郎が設計を担当した。白鹿館を構成するいくつかの施設のうちでも白眉は,約24× 64メートルの大空間を無柱で支える鉄筋コンクリート連続アーチによる瓶詰工場だ。同様の形式は,すでに毎日新聞社京都支局(昭和3年,設計=武田五一),大阪市立金甌小学校(昭和4年,設計=増田清)などにもみられるが,白鹿館はこれらよりずっと大きい。しばらく後には,鉄骨造の同形式で神戸市中央卸売市場(昭和七年,設計H 神戸市営繕課)が竣工している。海外の事例では中部ドイッ博覧会のホール(一九二一年,設計Hブルーノ・タウト)が近い。清酒の瓶詰は酒造のなかで最も早く機械化が進んだ。大正七年には樽詰主流のなか瓶詰の割合は一八パーセントだったが,昭和三年には三六パーセントに増加している。自動瓶詰機械は長大で,建物の長手ほぽいっぱいを占め,設計図ではこれが四基並ぶ。ところで,こうした工場施設が「館」と名づけられたのには,わけがあった。昭和四年に天皇の兵庫県下行幸のおり,産業奨励の恩詔のため辰馬本家酒造に侍従が遣わされた。この光栄を記念して,鉄筋コンクリート造の新しい酒蔵造営が計画されたのだった。白鹿館は機能をもつ記念碑である。工場は近代化の象徴そのものでもあった。
白鹿館
昭和4 年 西宮市 設計=竹中工務店・石川純ー郎(写真:『建築と生活」昭和8 年)
側面には横長矩形窓が並ぷ。それまでにみられた同形式の建物ではアーチ窓が入ることも多かったが,ここには装飾性はほとんどみられない。