所収:兵庫県教育委員会事務局文化財室(編)『兵庫県の近代化遺産―兵庫県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』2006年3月 p.201
WEB掲載に際して図版を追加した。
01506
神戸市立 二葉小学校
分野:教育施設
所在地:神戸市長田区二葉町7-1-18
設計者/施工者:神戸市営繕課/金田組
構造:RC造・桁行90.84m・梁行19.57m・延床面積4,534㎡・階数3
竣工年:昭和4(1929)年
明治末期以降,兵庫運河沿岸に精糖・製粉・発電所・木材業・マッチ・鉄工関係の工場など近代産業施設が建設されていくにともない,神戸市中心部の西側隣接地域の人口は激増,大正期には耕地整理組合による農地整理と道路敷設が進み,市街地発展の基礎がつくられた。増加する児童数は,明治20(1887)年開校の真陽小学校(二葉町)一校でまかないきれず,神戸市は長楽(1916年),真野(1918年),長田(1920),御蔵(1920),神楽(1923年),若松(1926年)と次々に小学校を設置,真陽小校区から分離した児童を送った。それでも同校の昭和3(1928年)の児童数3,691名は在籍数として日本一を記録したという。こうした状況が続いていた昭和2(1927)年,神戸市は駒ヶ林方面に小学校を新設することとし地域に協議会を設置,校地選定作業に着手した。昭和3(1928)年9月起工,翌3月竣工。開校の昭和4(1929)年11月時点での総児童数は2,089名であった。
校舎は,鉄筋コンクリート造3階建で講堂屋根のみ鉄骨造。1~2階は南北方向長さ約90メートルの廊下両側に諸室が並ぶ一文字型中廊下式平面。1階に職員室・校長室・応接室・衛生室・作法室などのほか,普通教室9,手工教室などの特別教室2。2階は普通教室20。3階は普通教室9,図画教室,唱歌室,裁縫室などの特別教室3のほか,中央に講堂。屋上は運動場としても用いられるようになっていた。
設備においては,教室窓の換気装置付き木製建具や水洗便所のほか,各所に手洗い場,足洗い場を設けるなど,衛生面の配慮が強化されており,当時の衛生意識の反映が窺われる。
外観意匠は,各階の窓を1区画ずつまとめ,その周囲を繰型として柱面より3段分窪ませており,これが1~3階を貫く縦長の額縁となり,その繰り返しによって壁面にリズムを生み出す。3階中央は講堂のため,天井高に応じて屋根高さも高くなる。この部分については,窓は教室と同様に矩形ながら,繰型はアーチ状になっている。当時は竣工時の記録に様式名称を記すのが常であったが,この建物の場合それは「近世式」となっているが,近代的あるいは最新式というほどの意味である。 内部はオイルステイン仕上げの木製腰壁に白漆喰壁を標準とし,講堂天井のみ簡素ながら折り上げ格天井とし和風の趣を出している。
設計は神戸市営繕課で,二葉小学校後援会が発行した記念誌(1929年11月発行)には,鳥井課長,調枝技師,井上技師,設計担当者として吉永技師,相原技師の名がある。神戸市営繕課は1923年に独立課となったが,学校建築は,明治期半ば以来重点業務として市の営繕技師によって設計されてきた。日本最初の鉄筋コンクリート造小学校校舎とされる須佐小学校(1920年,兵庫区)を初め大正期には個性的意匠の鉄筋コンクリート造校舎が建設されてきたが,昭和に入ると意匠は簡素化されていく。二葉小学校はこうした傾向の初期の特徴を示している。
同小学校は平成18(2006)年3月をもって閉校,長楽小学校と統合される。児童数は約230名と開校時の十分の一になっていた。地域には3代にわたりこの校舎で学んだ人も少なくない。そうした人びとにとって,長い長い板敷き廊下の光景は,床に塗られた亜麻仁油の匂いと「廊下を走るな!」と叱られた想い出とともに永遠であろう。それは同時に,いくつかの世代の日本人が共有する小学校という空間の記憶でもあるはずだ。(梅宮弘光)
参考資料
二葉小学校後援会 1929『神戸市二葉尋常小学校新築落成記念誌』