所収:兵庫県教育委員会事務局文化財室(編)『兵庫県の近代化遺産―兵庫県近代化遺産(建造物等)総合調査報告書』2006年3月 p.173
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旧池長孟邸(紅塵荘)
分野:住宅
所在地:神戸市中央区野崎通4-1-2
設計者/施工者:小川安一郎/藤木工務店
構造:RC造・階数3~B1
竣工年:昭和3(1928)年
神戸の資産家であり美術品蒐集家であった池長孟(いけなが・はじめ,1891~1955年)が神戸中心市街地東側の高台に建てた自邸。外観は当時流行のスパニッシュ・ミッション様式だが,そのファサードは,連続アーチ開口をもつベランダ(1階),鋳鉄製窓柵のついたアーチ窓(2階),桁で持ち出されたバルコニー(3階)と,関西のスパニッシュ・ミッション様式に多い平坦なものとは異なり,陰影に富む。これが傾斜地に聳えるように建つので,玄関に至る石貼りの階段や,前庭の棕櫚,門脇に鎮座する石の羊像とあいまって,強烈なエキゾティシズムを漂わせる。
竣工当初の内部は,これらを上回って奇想に満ちたものだった。泰山タイル貼り装飾台のある玄関ホール,オーク材を基調にしたジャコビアン風の食堂,のみ跡を残した化粧垂木をあらわしたスペイン風の最上階ホールにはダンスパーティーのためにバーカウンターや楽士用のバルコニーが備えられていた。
池長は当初,兵庫門口町の日本家屋に住まっていたが,1925年,妻との死別をきっかけに「陰気くさい住宅に決別する」(『自筆備忘録』)ことを決する。折しもこの頃,大阪の美術商・上田天昭と自由奔放な美貌のモガ淀川富子(映画評論家故淀川長治の姉)と知り合う。新築計画を知った上田に紹介されたのが住友営繕部の建築技師・小川安一郎であり,富子の好みも容れられて完成した邸宅は,短期間だが二人の新居でもあった。
建築史家・山形政昭氏は小川安一郎の作風を特注タイル,装飾金物,洋家具などで満たされた「美術工芸的」な空間と論じておられるが,それは池長の趣味とも重なるものであった。彼はこの空間を飾るために数々の美術や骨董を蒐集し,来客への展覧に供した。蒐集はやがて彼の代名詞ともなる南蛮美術に収斂し,その公開のための池長美術館(1940年開館)構想へとつながっていく。
戦後売りに出されたこの邸宅は劉氏に買い取られ病院となり,現在,事務部門と入院患者のサロンとして利用されている。所有者である医師父子二代にわたる高い見識によって,外部はほぼ当初のままに残され,内部にも往事を偲ばせる部分は多い。
ところで,池長はこの自邸を「紅塵荘」と称した。それは,この邸宅から見晴らかす神戸港東部の製鋼所煙突から立ち上る煙が夕日に紅く映える様に由来する。港を中心に飛躍的な近代化を遂げつつあった昭和初期神戸。その沿岸部と山の手ふたつの風景を結びつける挿話である。(梅宮弘光)
参考文献
高見沢たか子 1989『金箔の海 コレクター池長孟の生涯』筑摩書房
神戸市立博物館 2023『南蛮堂コレクションと池長孟』