阪神間モダニズム展実行委員会(編)『阪神間モダニズム―六甲山麓に花開いた文化,明治末期-昭和15年』1997年,淡交社,p.91
【阪神間に生きた建築家とその作品】清水栄二:高嶋平介邸―表現主義の親密な空間
高嶋邸は,灘五郷のひとつ魚崎郷で奈良潰を商う高嶋平介商店の二代目・高嶋平介の自邸兼帳場として武庫郡御影町,現在の神戸市東灘区に昭和5年,竣工した。商店敷地には木造平屋の製造場や店舗,木造洋館の郵便局などがあり,これらと併存して鉄筋コンクリート造2階建てのこの住宅が建設された。それはまた同商店が会社組織を整え「甲南漬」の商標を掲げるなど近代化を推進する時期と重なっていた。
設計者の清水栄二(1895-1964)は武庫郡六甲村の出身で,大正7年に東京帝国大学建築学科を卒業後,民間会社を経て神戸市の技師となり,学校建築を多く手がけた。大正15年には退職し,六甲村の自宅に設計事務所を開設した。
この住宅の外観で最も目をひくのは,建物の南西隅の塔であろう。その頂部は,パラボラ・アーチによる大・中・小三つ(解釈の仕方によっては四つ)のトンネル・ヴォールトが組み合わせられている。その組み合わせ方は,並列であったり,大きさが極端に異なったり,平側に開口が設けられていたりと,ヴォールトの一般的な構成原理からはずれており,それがなんとも不可思議な印象を与える。この塔の内部は中央に小さな吹き抜けをもつ階段室で,外形が内部空間に規定されているようにも思えない。このように建物の隅部に特徴ある造形を施す手法は,清水による西尻池村公会堂や御影公会堂に共通で,とくに複数階にわたる三角形断面の連続窓は,いずれにも登場する。
一方,こうした造形感覚は,日本における表現主義の影響をうかがわせる分離派建築会の初期作品や1920年代前半の逓信省営繕課による局舎のいくつかと類似のものである。じじつ清水は分離派建築会メンバーと同じ歳だし,神戸にはそうした局舎のひとつである兵庫電話局(大正9年)もあった。しかし,それらとの関係を指摘するよりも,むしろ表現主義的造形に共鳴する空気のなかに,清水もまた生きていたのだということだろう。神戸市営繕課時代の清水は,この造形感覚で比較的大規模な建築をまとめてきたのである。しかし高嶋邸では,そうした感覚が小ぢんまりとした親密な空間を生み出す方向で生かされている。(梅宮)
高嶋邸
3つのヴォールトをつなぎとめるように廻る壁面のボーダー。竣工時にはこの横に鉄骨製の広告塔もあった。内部では建築家による照明区具のデザインに惹きつけられる。