所収:ヴィトラ・デザインミュージアム(編) 藤田治彦(日本語版監修)『キッズ・サイズ・デザイン―子供たちの〈もの〉と〈心〉の世界』ヴィトラデザインミュージアム,読売新聞社 pp.95-101
発行日:2001年7月
マリア・モンテッソーリにおける「整備された環境」の概念 ―学びの生活世界としてのインテリア/ ユッタ・オルディゲス
Jutta Oldiges, Maria Montessori's Concept of the Prepared Environment:
"the interior as a living world of learning"
改革的教育者マリア・モンテッソーリ(1870-1953)は,世紀転換期において,新しいタイプの教育概念を発展させた。それは世界中に衝撃の波紋を投げかけ,社会の進歩的な人々のなかに,徐々にではあるが多くの賛同者を獲得していったのである。イタリアで最初の女性医師であったモンテッソーリは,障害児に関わる仕事を経て,人類学と教育理論に取り組んだ。そして,残りの人生を,子供たちが欲するものに捧げ,「自由教育」という独自の教育概念を探求し続けたのである。
今日,彼女の教育方法は確固たるものとなっている。その多様な側面は,一般的な教育理論によっても裏付けられている。彼女の統合的方法は,それを実践に応用しようとするときに,とくに有効性を発揮する。このモンテッソーリ理論は,最近になって再び新たな関心を呼ぶようになった*1。親や教師たちは一様に,この理論を集中力欠如,多動,動機欠如といった子供をめぐって増加する諸問題を解決するものとして,注目しているのである。モンテッソーリ教育にたずさわる教師ステーンベルクは,モンテッソーリ幼稚園(「子供の家」)に洞察的な手掛かりを求めようとする研究家が増えていることを,次のように見ている。「モンテッソーリ幼稚園において,健常児にも障害児にも,静粛と規律正しさ,礼・儀正しさと整然とした様子,知的発達,異文化との自然な共存があることを目の当たりにして,彼らはとても驚くのだ。そして,それは子供たちが注意深く選別されているからなのか,あるいは豊富な財政援助があるのかのどちらかだろうと疑うのがふつうである。彼らにlも目の前のことが不可能と映るらしい。しかし,それは可能なのである」*2。
モンテッソーリの方法における本質的原理は,子供には,長期間にわたって高い集中力でものごとに専念する能力が備わっている,という彼女の観察所見に由来する。観照状態において「子供と対象と環境は,ひとつに溶け合わさるのである」*3。彼女は,これを「集中現象」と呼んだ(今日これは,モンテッソーリ現象として知られている)。彼女はこの集中力を,子供のすべての学習課程にとっての,そして子供の人格形成にとっての,基礎をなすものと考えた*4。あるとき彼女は,小さな女の子が大きさの異なるひと並びのかたち(※【訳注】「差し込み円柱」)で遊んでいるのを見ていた。その女の子は,それらのかたちを木製のボードに空けられた大きさの合う穴に差し込んでいた。そしてその行為を,同じ部屋のほかの子供たちに気を取られることなく,44回繰り返したのである。「この現象は・・・たしかに外的状況のもとで引き起こされた持続的な反応と見なすことができる。いや,そうにちがいない。そして,こうした『集中現象』が起こるたびに,子供は,はっきりと変わり始める。より落ち着きを増し,多くの場合,理解する力と話す力の一層の増進がみられるのである。子供は,まるで転化ともいえそうな至高の意識現象を思わせる非凡な内的性質を証明してみせるのだ。」*5ひとつのことを何度も繰り返すということは,疑いなく子供らしい特質である。この繰り返すことの喜びをさらに高めるために,モンテッソーリは,何年にもわたって試行錯誤を重ね,いくつかの教具を考案した*6。
この教具を使った彼女の方法には,日常生活の練習(※「実際生活の練習」),動作訓練(※「筋肉訓練」),感覚訓練(※「感覚教育」)という3つの異なるタイプの訓練がある。日常生活の練習は,とくに3 歳から5 歳の就学前の子供たちに適用され,「体系づけられた動作」に対する感覚の発達を助ける*7。子供は,手伝ってもらいながら一人で靴ひもを結んだりシャツのボタンをかけたりするのと同じように,毎日を過ごす環境である家庭の仕事(机を据える,洗い物をする,掃除をするなど)にも意を払うことを学ぶのである。こうした動作訓練は,「機能的な所作ひとつひとつのなかに人間としての個性を盛り込む」ための身のこなしを調整するのに役立つ*8。それは,リズムと体操の訓練や,バランスや集中の訓練(たとえば直線上を歩くといった)のような口常生活の練習からなっている。
感覚訓練は,知覚を研ぎ澄ます。ここで用いられる教具には,芳香塩の入った瓶(※「臭い嗅ぎ筒」),音の出る箱(※「雑音筒」),色彩感覚のある箱(※「ピンクタワー」「茶色の階段」),かたち分類箱(※「幾何学的巌め込み板」),数量を示すカード(※「計算棒」),「幾何学立体」,「文字板」セットなど,そのほかにも多くのものがある*9。「発達教具の教育的意図は,感覚や動作の訓練や進歩に基づきながら,知性の発達に連動している」*10。どの教具を使うかを決めるのは,教師ではなく子供である*11。まず教師がやってみせる,それから子供は,教具を使ったその訓練を一人で行うのである。教師の役割は,子供が一人でするのを手助けすることに限定されているのだ。教師は,子供たちがその教具に慣れたところではじめて,参考になる他の用具も使いながら,教具と抽象的な用語―大きい/小さい,軽い/重い,明るい/暗い,など―との関連づけを教え始める。それらの教具は,子供が間違いやすいところを子供自身がチェックできるようにつくられている。子供の家には,絵本が置かれた読書スペースのほかに,人形の家や自動車といった典型的なおもちゃで遊べるスペースも備えられている。
モンテッソーリは,すべての子供の成長過程に,確かな「敏感期」があることに気づいた。個人差はあるにしろ,あらゆる子供は,成長過程のある時期に,言語能力の修得などの受容能力が著しく高くなるのである。この「敏感期」は,ぜひとも認識され助長されなければならない。なぜなら,時間がたつとそれは,限定されたかたちでやっと残るか,あるいはまったく消え去ってしまうからである。
整備された環境
「環境と教師とを整えるということは,私たちの教育の実質的な基礎をなす。教師はどんなときでも愛情をもって振る舞わねばならない。まず子供がいて,教師は子供に寄り添い,そして手助けするのである。子供が積極的に振る舞えるためには,教師というものは,自らを控えめな態度に留めておかなければならないのである。教師は子供に,自己表現する自由を与えなければならない。子供の人格形成のもっとも重要な時期において,なんでも先まわりしてやってしまう大人ほど,子供の成長の障害になるものはないのである」*12。
子供の家や学校*13における教師の役割は,観察者かあるいは分をわきまえた支援者に限られる。子供と教師の関係は,子供の意志表出や自発的行動そして鋭敏な感性による感情移入を,教師が尊重することに基づいている。「まさに子供自身の活動が,子供に理解をもたらすのである。子供は自らの環境によって自らを涵養するのであり,教師によってではないのである…」*14。
教師がつくり出すべき安心できる雰囲気と発達教具以外に,「整備された環境」が備えるべきものは,子供の心身の独立を尊重したインテリアと家具の調和である。かつて,モンテッソーリ以前の教育改革者たち―ルソー,ペスタロッチ,フレーベル―は,より道徳的な子供の教育を主張した。これに対して,マリア・モンテッソーリは,子供の自主性との関連において育児室や学校のインテリアに,根本的な改革を要求した最初の人だった。モンテッソーリ学校の教室や子供の家の当時としては革命的だった彼女流のインテリアにおいては,集団授業という方法そのものがそぐわないのである。彼女は,伝統的な学校机を禁止し,ひとりひとりの独立した家具に取り換えた。何世紀もの間,子供たちは,長机と長椅子の列の間で囚人状態に置かれてきたのである。説教めいた教え方―それは今日でもいまだに大部分をしめる―は,構造的に権威主義のものである。すなわち,そこでは指図と服従が主たる関心事であって,個人の責任や自主性が奨励されることはなかったのである*15。
もし子供が自ら真に活き活きとしているのならば,そのインテリアの環境は子供自身のスケールに対応しているにちがいない。「まず第一段階は,教室を小さな子供の家にふさわしく変えることであり,そこに,その部屋の実質的な主たちの背丈や腕力を考慮した品物,つまり小さなテーブルと椅子と流し台,小さな浴室設備,小さな敷物とテーブルクロスと陶磁器などを備え付けることである」*16。そしてこれらはすべて,部屋のいろいろなところに持って行って使ったり,庭に持って出る場合に備えて,最年少の子供でも持ち運びできるよう,軽くなくてはならない。さらに家具は,単純明快なデザインで,調和のとれたかわいい外観と色がよい。とくに色は,薄めで「美しく,気分を朗らかにしてくれるような」ものでなくてはならない。「美というものは活動や作業を促進する。したがって子供の家は,細部に至るまで美しく気持ちのよいものでなくてはならないのである」*17。たとえば部屋や窓や扉の大きさの寸法関係など,あらゆるものは子供の身長を配慮してつくられるべきである。事実モンテッソーリは,子供の手がほとんど届かない扉よりもカーテンの方をよしとしていた。棚にしても,子供たちがものを載せやすいような適切な高さに設置されるべきである。
最後に,すべての家具は洗うことができなくてはならない。それは衛生上の理由というよりも,むしろ,子供に「喜ばしい雑用」の機会を提供するためである。モンテッソーリは,ごく幼い子供でも,整理整頓や掃除といった毎日の雑用を,草花や動物の世話と同じようにきちんとすることができるのであって,そこに大きな喜びを見出すものだということに気づいていたのである。「子供というのは,今やっていることの背後にある知的な理由を知りたがるものである。それはまた,彼らがただ単なる体操に興味を示さない理由でもある」*18。
経費についてもまた十分考慮されている。彼女の考えでは,手入れの簡単な教室用家具は,ありきたりの「重い木や鉄でできた立派な記念碑のような長机と長椅子よりも安上がりなのである。それに,巨大な戸棚,重厚な教師机など,同じようにたくさんつくられてきたこうした家具は,私たちの美しい子供時代の活力をそぐものでしかないのである」*19。
子供たちは家でしばしば,彼らが大暴れしたりなにかを壊したりすることを恐れるあまり大人たちが差し挟む禁止ごと(「私にやらせて!」とか「気をつけて,壊すよ!」)に直面するが,子供の家では,彼らは運動能力を鍛えるために,日常的な所作の手ほどきをされる。そして,この信頼に彼らは驚くほどの責任感をもって報いるのである*20。椅子を倒すことなく静かに後ろに引いて素早く立ち上がることを身につけるといったように,明確な意図をもってものを扱うことを通して,子供たちは,そこに必要な運動調節能力を鍛えることができるのである。そうした能力や注意力は,昔ながらの教室でも教わることがあったとしても,ずっと後になってからにすぎない。モンテッソーリはかつて,ミラノの子供の家の様子を次のように紹介している。そこで子供たちは,最初のお絵かきの時間で使われる鉄製の人形を,いつもひっくり返していたという。というのも,それらを置く棚に十分な奥行きがなかったからだ。しかし,大工がもっと奥行きの深い棚を取り付ける前に,子供たちはもう床に人形を落とすことがないほど注意深くなったというのである。「彼らは発達し,そして棚のデザイン上の欠陥を補うために自分自身の技術を駆使したのだ。このように,子供たちの周辺にあるさまざまなものの単純さやデザインの欠点は,生徒たちの行動や技術の発達要因となるのである」*21。
子供の家では,子供たちに動き回る自由が与えられている。しかし,次のことにとりかかる前には必ずその前にやっていたことを終わらせるよう要求される。そこには固定された席順というものはなく,そういう環境が,子供たちの社交的活動の活性化を促すのである。しかし,一人でいたいか集団に加わりたいかは,子供たちの自由に任されている。規則といえば,あらゆるものは子供の手の届くところに置くということくらいだが,一方で子供たちは,他者の行動を尊重し思いやりをもつこと,そして,どんなに欲しいものでそれが一度しか回ってこないものでも辛抱強く待つことが求められる。さらに彼らは,教師の毎朝の挨拶を,しっかりと聞き受け止めるよう求められる。通常,モンテッソーリ学校では年齢の異なる3 つのクラスを合わせて一集団としているが,そんなときには,年長の子供たちは年少の子供たちに対して,彼ら自身が自主的な活動を通して自ら学んだ注意深いやり方を伝えていくという特別な責任を果たすようになる。
環境を子供の要求や適切な発達段階に適合させることこそ,大人の義務である。子供たちがやがて依拠するようになる秩序,彼らを確固たる社会構造に導く秩序,そういう秩序をめぐって私たちの生活が展開しているのだということを,子供たちに理解させることこそ重要なのである。確立した秩序感覚は,子供の敏活な精神にとって有益なのである。
学校の雰囲気に関してモンテッソーリが強く主張したのは,子供は絶対的自由のなかで生活すべきであるということだった。つまり,「生理学的観点からみても,また活発な運動性に関する発育的観点からみても,子供という有機的組織体は“発達にとっての理想状態に置かれる”べきだ」*22というのである。1920-30年代に行われた多くの伝統的学校の改良(教室面積は増大し,より明るく風通しがよくなり,ストーブが完備された)にも関わらず,その教室が「白で統一」され無味乾燥であることを,モンテッソーリは批判したのである。彼女はそれらが整形外科にあるような椅子を忠実に見習っていることを,驚きをもって記している。そのような椅子についていえば,たとえ高さが調節できたり回転させたりできようとも,「学校衛生」*23を誤解していると。だから,初期において彼女は,自分の学校や子供の家のすべての家具を自作しなくてはならなかったのである*24。
第一次世界大戦前後を通じて,モンテッソーリ教育理論のドイツ*25における主導者だったクララ・グルンヴァルト(1877-1943)は,1923年に次のようなことを書いている。子供にとって必要なものは,ちょうどよい大きさの椅子や机など少数の例外を除くと,家庭の子供部屋においてさえも十分には揃っていない。子供は,その必要とするものすべてに手を伸ばすことができなければならないというのに。小さな容器から水を取って洗面器を満たすこと,自分の服を低いたんすに架けること,下着をたんすの引き出しにしまうこと,これらすべては,誰の助けもなしにできるようになっていなければならないのだ。そしてグルンヴァルトはこう問いかける。「人形のためには家具から調度品からさまざまなものにまで,ありとあらゆるかたちとサイズが揃っているというのに,子供のサイズに合った家具を手に入れようとすると,特別注文でもしなければまったく不可能だというのは,いったいどういうわけなのだ?」*26。
一方,整備された環境は子供とその発達に対応づけられている。子供にとっては,その運動能力を鍛え,感覚的,知的,情緒的,社会的な水準を高めることこそが理想的なのである。「子供は私たちに人間性とはなにかを教えてくれる。それは私たちの備えているものよりもずっと優れており,純粋な生命力と力強さと美しさにあふれている」*27。
(梅宮弘光:訳)
※訳注:モンテッソーリ教具の名称については,それに相当するものとして日本語文献で一般に用いられている名称を※付きで併記した。
ヴィトラ・デザインミュージアム(編) 藤田治彦(日本語版監修)『キッズ・サイズ・デザイン―子供たちの〈もの〉と〈心〉の世界』ヴィトラデザインミュージアム,読売新聞社
Alexander von Vegesack,et al.(eds) kids size; The Material World of Childhood, 1997
アレキサンダー・フォン・フェーガザック まえがき
藤田治彦 日本展開催にあたって「日本の子供たちの部屋」
ルーシー・ブリヴァント 幼年期のリズム
インゲルボルク・ヴェーバー=ケラーマン 子供部屋
ノリーン・マーシャル 大いなる眠り
フランコ・ラ・チェクラ おもちゃという残りもの
ギュンター・ペルツィッヒ 子供らしい,子供っぽい,子供にやさしい:子供の美学,そのようなものがあるのだろうか
バーバラ・フェールバウム フィリピンの村の子供たち
エレン・アダムズ 校庭
ユッタ・オルディゲス マリア・モンテッソーリにおける「整備された環境」の概念―学びの生活世界としてのインテリア
デニス・ハーグストルーメル ついに“児童の世紀”が?
エリザベート・デッサイ 子供たちと生きる
カタログ
1. 眠る(揺りかごからベッドまで)Patterns of sleeoing
2.生きる(毎日の生活) Basic function
3.遊ぶ(遊びという仕事) Play
4.動く(小さな旅) Mobility
5.学ぶ(学習のはじまり) Formal learning
参考文献
寄稿者略歴
写真クレジット
キッズ・サイズ・デザイン展―子供たちの〈もの〉と〈心〉の世界
日本展監修:藤田治彦
サントリーミュージアム天保山 2001年7月14日~9月2日
徳島県立近代美術館 2001年9月8日~10月21日
リビングデザインセンターOZONE 2001年11月3日~12月2日
郡山市立美術館 2002年3月9日~3月31日
丸亀市猪熊弦一郎現代美術館 2002年4月13日~6月2日
*1:次を参照のこと。Steenberg 1993, pp.13-14. Esser 1996, pp.7-10, Holtstiege 1994, pp.6-8. ドイツ語圏には700近いモンテッソーリ関連施設がある。
*2:Steenberg 1993, p.14
*3:同前,p.29
*4:子供に,彼らの行動に対する選択と遂行の自由が提供されたとするならば。
*5:Montesssori 1976, p.70
*6:発達心理学の見地からするなら,抽象能力の進歩におけるいつくつかの教具の利用価値は,他のものと比べて明らかに優れている。Grunwald 1995, p.16。
*7:Holtstiege 1994, p.95
*8:同前,p.98
*9:学校教育の科目ごとに適合するようにつくられた,学齢児童のための主題別教具も用意されている。
*10:Holtstiege 1994, p.103
*11:モンテッソーリは,子供の活動について議論するときには常に,遊びよりも労働に注目し,労働の背景にある重要性を強調した。人格の発達に資するという点では,子供にとっての労働も成人にとってのそれも,変わるところはないのである。
*12:Montesssori 1968, p.21
*13:モンテッソーリは必ずしも子供の家と学校とを区別しているわけではない。
*14:Montesssori 1966, p.5
*15:Steenberg 1993, p.15
*16:Montesssori 1968, pp.39-40
*17:Montesssori 1993, p.82
*18:Grunwald 1995, p.122
*19:Montesssori 1968, p.40
*20:子供たちは,たとえば,金属やプラスチック製の日用品ではなく,ガラスや陶磁器類のそれを使うことが許されている。
*21:Montesssori 1993, p.77
*22:同前,p.83
*23:「白で統一することと,あらゆるものが簡単に洗えるようになったという事実は,人間生活を維持するためには微生物と戦うことが重要になった時代における,勝利の印である」。Montesssori 1993, p.84
*24:彼女の思想に対する人気が高まり,より広範に普及してくると,企業は彼女の要求に応えて,家具の生産や用具の開発を始めた。
*25:ドイツでは,当初,モンテッソーリの考え方に懐疑的だった。むしろよく受け入れられたのは,オーストリア,イギリス,アメリカ,そして特にオランダであった。
*26:Grunwald 1995, p.131
*27:Montesssori 1968, p.38