所収:『日本建築学会大会学術講演梗概集(東北 )2018年』 pp.885-886
発行日:2018年8月
1960年代に竣工した坂本鹿名夫の設計になる円形校舎の全体的概要
正会員 梅宮弘光
キーワード:戦後建築 近代建築 モダニズム 機能主義 学校建築 円形建築
本稿は1960年代に竣工した坂本鹿名夫の設計になる円形校舎に関する情報を整理して,その全体像を概観するものである。
問題の所在
世間では円形校舎は昭和30年代の流行と言われ,研究者もこれを追認してきた。しかし「昭和30年代」といい「流行」といい,その実態は曖昧なままであった。この点を問題視された藤木竜也氏は1976(昭和51)年時点における日本全国の小学校校舎を空中写真を通じて悉皆調査した労作*1において,小学校全数に占める円形校舎は極めて希少なこと,竣工年は1955~67年にわたっており「昭和30年代に流行」という説明には妥当性が認められること,所在地分布には偏りが見られること,大部分を坂本鹿名夫が設計していたことを明らかにされた。とはいえ,同氏も明記されているとおり,これらの結果はあくまで小学校に限定した場合であり,さらに設計者不詳の事例を含んでの結論である。
円形校舎登場の大きな背景として,児童数の自然増・社会増のもとでの新学制があり,こうした情勢に対応を迫られる逼迫財政の地方自治体があり,一方でそこにビジネスチャンスを見出す私学がある。そうしたニーズに円形校舎をもって応え,旺盛な設計活動を展開したのが坂本鹿名夫と彼の事務所であった。
戦後の復興期から高度経済成長期に至る状況は,空間的にも時間的にも一様ではなかった。その過程で登場した円形校舎は,各状況において,人びとに戦後的気分の好ましい表象として受容されたと思われる。
このようにして,校地拡張ままならない市街地にも,陸の孤島と呼ばれた海辺の急斜面にも,円形校舎はその姿を現すのである。すなわち,施設としての円形校舎は類似であるものの,それがインストールされる状況には個別性がある。この組み合わせこそが円形校舎のある風景なのであり,それを読み解くことに近代建築史研究としての円形校舎研究の可能性があると考える。
1960年代以降の円形校舎
「昭和30年代の流行」という言説が曖昧にならざるを得ない要因のひとつは,1959年10月発行の坂本鹿名夫作品集『円形建築』以降の坂本の設計活動が,つまびらかではなかったことである。同書巻末の「主要作品略歴」の最後は新潟県立小出病院円形看護婦宿舎(1959年11月設計完了)である。円形校舎のその後を検証するためには,これ以降の情報が必要である。
そこで本稿では「経歴書 坂本鹿名夫建築研究所」掲載の設計実績から円形校舎を抽出し,関連資料と突き合わせて竣工時期を特定し,坂本の設計になる1960年代以降竣工の円形校舎を整理した【表】。その結果,これまで坂本設計と思われながらも確証が得られなかった事例や,まったく未知の事例が明らかになった。
【表】を概観するならば,1960年代の円形校舎は全31例で,内訳は小学校16例,中学校1例,高等学校6例,大学3例,幼稚園・保育所4例,その他1例である。年代ごとの竣工数は,1960年4件,1961年6件,1962年8件と増加傾向を示し,1963年5件,1964~66年が各1件,1967年2件と減少する。1968年の3件がいずれも同タイプの保育園であることは,日本の就学前教育・保育の発展と考え合わせるとき,興味深い。
施主・事業主体との関係からみると,1950年代からの関係を引き継いでいる事例がある。帝塚山学園,小浜市(円形図書館1959年),習志野市(津田沼小学校1957年を初めとする矩形校舎),創設者を共通とする帝国書院(矩形ビル1959年)と関東商工高等学校である。一方,1960年代に入ってから関係の生じたと思われる例は,大乗淑徳学園,木古内町,朝日町などである。
おわりに
坂本鹿名夫子息で坂本事務所取締役であった坂本紘一氏によると,盛期の坂本は打ち合わせに地方に出向くと,当地で2~3の新たな仕事を依頼されて帰ってくるのが常であったという*2。こうした坂本の設計業務全体の継起を背景として,円形校舎の消長をみる必要があろう。
謝辞:坂本事務所旧所員の松嶋晢奘氏には,貴重な資料をご提供いただいたばかりでなく,これまで長きにわたりご教示とご支援を賜った。深謝申し上げます。貴重な談話をいただいた坂本紘一氏,そもそもの機縁をご紹介いただいた旧所員の笠嶋淑恵氏に心よりお礼申し上げます。円形校舎の実見と資料調査では,次の各機関と関係者の皆様にお世話になりました。記して謝意を表します(順不同)。淑徳大学アーカイブ,マハヤナ学園撫子園,土湯小学校,関東第一高等学校,朝日町町史編纂室,朝日小学校,片山小学校,港町小学校,木古内町建築課,わらび幼稚園,柴田女子高等画稿,田尻町,清林館高等学校,習志野市立大久保図書館。