著作リスト/梅宮弘光

日本における建築のモダニズム

導き出された〈かたち〉たち:イームズの家具・プロトタイプ・実験をめぐるフォトエッセイ / ドナルド・アルブレヒト

Donald Albrecht, Evolving Forms: A PHOTOGRAPHIC ESSAY OF EAMES FURNITURE, PROTOTYPES, AND EXPERIMENTS,
Diana Murphy (ed) "THE WORKS OF CHARLES AND RAY EAMES : A REGACY OF INVENTION"
『チャールズ&レイ・イームズ 日本語版』読売新聞社 pp.80-105
発行日:2004年11月

チャールズ・イームズ レイ・イームズ

 

導き出された〈かたち〉たち:イームズの家具・プロトタイプ・実験をめぐるフォトエッセイ / ドナルド・アルブレヒト

 イームズ夫妻の「ミニマム・チェア」は,簡潔の美を体現している。それはまさに,家具デザインにおける彼らの力量を証すものだ。イームズ・オフィスがこの実験的作品を生み出したのは1948年,ニューヨーク近代美術館主催の「ローコスト家具デザイン国際コンペ」に参加したときだった。そこでの彼らの目的は,最小限の材料でいかにして快適な座面をつくりだすか,そのための材料を発見することにあった。そこでまず,二つのバージョンが制作された。ひとつは,座面と背面が薄い金属板でできたもの,もうひとつはたくさんの穴をあけて網状にした金属板でできたものである。このミニマム・チェアは,キクラデス文明の彫刻にも通じるような形式的純粋性に到達していたが,ついに量産されることはなかった。

■1948年の「ローコスト家具デザイン国際コンペ」のために制作された,パンチング・メタルの座面と背もたれをもつ実験的「ミニマム・チェア」

 この二種のミニマム・チェアは,イームズ夫妻の家具の仕事を広範にわたって保管しているヴィトラ・デザイン・ミュージアムの350点にのぼるコレクションに収められている。このコレクションは,ソファやテーブル,収納キャビネット,スツール,間仕切り壁に加え,積層合板,繊維ガラス強化プラスティック,溶接と曲げ加工によるワイヤーメッシュ,そして鋳造アルミニウムという材料別に四分類される椅子グループなど,イームズ夫妻によるあらゆる種類の家具を網羅している。そのなかには,実験,試作,量産の各モデルに加え,手作りの金型や型枠といった設計過程で生み出されたさまざまな部品類も含まれる。こうした多用な仕事の根底にあったコンセプトは,従来の椅子に見られるような張り地やクッションを用いずに,座る人のからだにフィットし体重を分散させるような座面と背面のかたちを導き出すことにあった。その結果,それぞれの椅子グループの座面は,どれも可塑的な材料を人体にフィットさせる形状に成形する一連の技術によって生み出されていったのである。ここに紹介するヴィトラ・デザイン・ミュージアムのコレクション写真は,チャールズとレイのイームズ夫妻の遺産である20世紀に比類のないデザインの真髄を雄弁に物語るだろう。(D.A.  訳 梅宮弘光)

合板

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■向いページ左:第2次世界大戦中に制作された,成型合板による副木。 ■向いページ右:成型合板による副木と同じ曲面をもつ,レイ・イームズの彫刻。1943年頃,エリ・ノイズとオーガスタ・タルボットのコレクション。

 1946年にデザインされたイームズの有名な成型合板の椅子は,素晴らしき失敗作と言えるかもしれない。というのも,からだの線に合わせた一体型のシェルから椅子を生み出す彼らの挑戦において,それは部分的な解決にとどまらざるをえなかったからである。1941年,ロサンゼルスに移ったチャールズとレイは,アパートの一室に自宅兼工房を構えた。夜と週末,彼らはそこで成型合板で椅子をつくるアイデアを発展させるための実験に没頭した。そもそもこのアイデアは,チャールズとエーロ・サーリネンがクランブルック美術アカデミーで考え出し,ニューヨーク近代美術館が1940年に行った「オーガニック家具デザイン」コンペに応募して1席を獲得したものだった。 イームズ夫妻は,廃材と余った自転車の部品を使って合板をプレス加工するための独自の装置をつくった。それは薫製用オーブンのような機械で,彼らはそれに「カザム!マシン」というニック・ネームをつけた。この装置を使って,彼らは合板で一体成型シェルをつくり出すことに成功した。しかし,その制作過程は危険をともなうものだった。そのことを,イームズ・オフィスのスタッフだったアレックス・フンケは,後にイームズ・デミトリアスとの対談の中で次のように回顧している。「その巨大な薫製オーブンは,アパートに供給されていたのよりはるかに大きな光熱エネルギーを必要とするものだったんだ。それは家庭の電気回路の中で巨大な抵抗として働くから,そのまま使うとヒューズを飛ばしてしまう。それなら直結してしまえ,というわけでチャールズはヘビー級の絶縁ケーブルを何本も持って送電柱によじ登ったんだろう。〈あの時は,ほんとうに死ぬかと思ったよ〉,彼はことあるごとに話したものさ」。

 その後イームズ夫妻と同僚たちは,アメリカ海軍から第二次世界大戦の負傷兵のための成形合板製副木の,また航空機産業からは飛行機部品の開発委嘱を受け,カリフォルニア州ベニスの近くに工房を開いた(イームズ・オフィスは1943年から88年までの間,ずっと同地ワシントン通り901番地にあった)。接着剤や諸々の技術を戦時下に適用するこうした仕事は彼らに実践的な経験を与え,それは後になって家具制作やレイの合板彫刻に応用され,その美的感性の洗練を助けることになる。彫刻家,デザイナー,技術者といったスタッフたちとともに家具開発に戻った工房は,一体成型シェルについての多くの実験を重ねていった。  奮闘の末,まもなくチームは,成形合板を一体成型したときに座面と背面との境目に生じる圧縮力に,合板が耐えられないことを悟った。結果として,彼らは一体成型シェルというアイデアを諦め,座面と背面にそれぞれ別の成形合板パネルを用いるツー・ピース・チェアの方を選んだのである。その後も数え切れないほどの実験が繰り返された。組み合わせる脚は3本か4本か。それは金属製がよいのか木製がよいのか。背もたれの傾斜を大きくした安楽椅子タイプ,木製そりをつけた揺り椅子タイプ。また,ゴム製のショック・マウントやサイクル溶接など工業生産の分野で用いられていた技術を応用したり,道具や原型,石膏の原寸大模型,金型や試験装置を独自につくり出していった。そして,最終的な完成品は,ニューヨーク近代美術館における1946年の「チャールズ・イームズの新作家具」展で公開された。そのヴァリエーションは今も製造され続けている。

一体成型シェルのバリエーション

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■成型合板シェルの試作,1941-42年(右端,1944-45年)

 合板を鋭角に曲げようとすると裂けやすい。それを防ぐためにイームズ夫妻とその協力者たちは,成型合板の実験用シェルに切れ込みをいれたり穴をあけたりした。結局それは採用されず,今日名作として知られる,座板と背板が別々になったイームズ・チェアの方が採用されることになった。しかし,戦時中のこうした実験は,空間における美しいたたずまいの探求だったのである。

脚のバリエーション

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■背もたれ付き椅子の金属ベース試作品 1945年(右端,1946年)

 イームズ夫妻による椅子の合板部分が,からだの線を反映したいわば「第2の皮膚」とするならば,一方の金属部分は骨格だと言える。これら脚から背骨にかけての脚部をめぐる実験は,板鋼と鋼管を溶接してつくった一種のアッサンブラージュ(廃品等でつくった芸術作品)である。そこでは,最小限の材料から最大限の安定性と弾性が獲得されている。

合板のバリエーション

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■向いページ:金属製の脚部をもつ成形合板ラウンジ・チェア(LCM)1946年  ■下:金属製の脚部をもつダイニング・チェア(DCM) ■1945-46年,3本脚をもつ2脚の試作品 1945年

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■成形合板家具のセット。左から右へ:木製脚部をもつコーヒー・テーブル(CTW)1945年 ■木製脚部をもつダイニング・チェア(DCW)1945年

 イームズ・オフィスは当初3本脚モデルも試みていたが,ダイニング用,ラウンジ用として大量生産されるときに採用されたのは, より安定度を増した4本脚モデルだった。それらは,軍隊風のやり方でそれぞれDCM,LCMと名付けられた。ここでイームズ・オフィスが苦心したのは,合板と金属との機能的で美しい接合部のありようだった。両者は,合板の方に接着された黒いゴム製のショック・マウントを介してネジどめされる。それは,ふたつの部材の関係性における,視覚的なポイントになっている。

ラウンジ・チェアとその原型

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■向いページ:3つの成形合板パーツからなるラウンジ・チェアの試作品 1946年
■下:ラウンジ・チェアとオットマン 1956年

 新しい家具のアイデアを求める,イームズ夫妻の不断の探求においては,一見したところ将来性がないと思われていた試みが,驚くべき結果とともに再浮上することがあたた。。たとえば,曲げ加工した成形合板のパーツを互いに組み合わせてつくるラウンジ・チェアのアイデア。これはイームズ・オフィスが1945年から46年にかけて開発したものだが,その後10年近くも放置されていた。それが1956年になって,革張りと成形合板によるラウンジ・チェアに結実したのである。

繊維ガラス強化プラスチック

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■積み重ねられた繊維ガラス教科プラスチック椅子 1954年 ■1950年から89年まで製造されたダイニング・アームチェア

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■異なる方向から見たラ・シェーズ

 この椅子のコンセプトはイームズ・オフィスによって考案され,ニューヨーク近代美術館における1948年の「ローコスト家具デザイン国際コンペ」で発表された。1991年以降はバーゼルのヴィトラ社で生産されている。

 イームズ夫妻による繊維ガラス強化プラスティックの椅子は,いかにして座面を一体のシェルとしてつくり得るかという問題を解決するものだった。1948年,イームズ・オフィスはUCLA(カルフォルニア大学ロサンゼルス校)の技術者たちからなる研究チームと共同して,ニューヨーク近代美術館主催の「ローコスト家具デザイン国際コンペ」に入選した。安くて軽く使い勝手のよい若い家族向けの椅子をつくるためにイームズ・オフィスがまず考えたのは,金属板を打ち抜いて一体型のシェルにするデザインだった。それは,自動車産業の生産技術を応用したもので,スタッフたちは特別な打ち抜き機械を開発し,特に金型とおもりを用いた鍛造ハンマーで金属板を成形するとともに耐力試験を行った。しかしその結果,金属板の打ち抜きは費用がかかりすぎて,廉価生産には見合わないことが証明されたのである。繊維ガラスが彼らの関心を引いたのは,そんなときだった。それは戦時中に大量に出回った型取り用の素材である。 イームズ・オフィスは,戦時中は繊維ガラス強化プラスチックでレーダー・ドームを製造していたカリフォルニア州ガルデナにある プラスチック会社,ジーニス社に連絡をとった。そうして,ジーニス社とイームズ・オフィスとの共同によって,この材料の活用にこれまでとは異なる新しい方向が見出されることになったのである。そうして開発されたのが, 椅子張を用いずに表面を露出させたままの,一体成形プラスチック製椅子の最初期モデルのひとつであった。その販売を申し出てきたハーマンミラー社向けに,1950年,ジーニス社はアームチェア・タイプの量産を開始した。この椅子の製造技術の骨子は,補強剤として繊維ガラスを入れた液化プラスチックを雄型と雌型の間に挟んで,油圧でプレスするというものである。当初この椅子に用意されていた色は3種のみだったが,後にはより多くの色に加え,布やビニールのカバーリングも提供されるようになった。この椅子にはまた,脚部のさまざまなバリエーションも用意された。金属棒のもの,鋳造アルミ台座,回転台座,ワイヤーで引っ張り合って支える構造,木製脚,ワイヤーで引っ張り合って支える構造に揺り椅子用の木製そりをつけたもの。脚部は,ゴム製のショック・マウントを介してシェルに接合されている。この椅子の標準モデルは製造中止となった。

ワイヤ

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■向いページ,左・右:曲げおよび溶接実験のためにつくられたワイヤ・チェアの座部 1951年 ■向いページ,中:メタル・ロッド・チェアの試作品 1951年 ■上:ワイヤ・アームチェアの試作品 1951年

 イームズ・オフィスは,家具デザインの主材料として曲げ加工や溶接加工されたワイヤについても研究した。書類整理用トレイや衣装用マネキン,バスケット,ネズミ捕り籠といったワイヤ製品にヒントを探りながら,量産用の座部や脚部と同様に試作が重ねられた。一体成型の繊維ガラス強化プラスチック椅子と同じく,ワイヤメッシュの椅子も一体シェルのデザインである(1940年代中期にイームズ夫妻とともに仕事をしたハリー・ベルトイアも,1952年から53年にかけてノール社のために,これと同じくらい美しいワイヤメッシュの椅子をデザインしている)。このシリーズは,1951年から57年の間ハーマン・ミラー社によって販売されたが,今日ではヴィトラ社によって製造されている。座部はさまざまな脚部そしてカバーリングと組み合わせることができる。この繊細な座面の量産にあたっては独創的な技術が開発された。ワイヤーを溶接して座部のかたちをつくり出すための特別な型枠。抽き出しの製造に用いられていた抵抗溶接(溶接部分に通電することによって起きる発熱を利用する溶接法)の技術を使って座部の縁を二重のワイヤーで補強する革新的な方法などである。

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■向いページ:「エッフェル塔」ベースのワイヤ・サイドチェア 1951年 ■下:折りたたみ式ワイヤ・ソファのフレーム試作品 1951年 ヴィトラ・デザイン・ミュージアムに委託されているルシア・イームズのコレクション

 合板や繊維ガラス強化プラスティックの家具のデザイン・プロセスがそうだったように,量産用のワイヤ・チェアとワイヤ・テーブルも,製造技術の可能性を限界を超えて追求する多くの実験の末に生み出されたものだ。しかし,ハイバックのワイヤ・アームチェアや折りたたみ可能で分解もできるワイヤ・ソファは,経済的に生産するには複雑すぎることが判明した。それでも,後者で試みられた折りたたみのアイデアや購入者が自分で組み立てる「ドゥ・イット・ユアセルフ」のコンセプトは,1954年にハーマン・ミラー社から発表されたよりシンプルなイームズ・ソファ・コンパクトに受け継がれている。

アルミ

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■上:アルミニウム・チェアの鋳造用木枠 1958年 ■向いページ:アルミニウム・ダイニングチェア 1959年

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■アルミニウム・ダイニング・チェアのディテール 1959年

 1958年のアルミニウム(アルミナム)・チェアは,当初,屋内と屋外の両方での使用が意図されていた。イームズ・オフィスでは,最小限の材料を用いてヴォリュームを最小限に抑えた椅子をつくるために,足かけ3年に渡って木と金属で実物大模型の試作が続けられた。この椅子は,一体鋳造された優美で彫刻的なアルミニウムのフレームに特徴があり,椅子張りはその間に張り渡されている。この椅子張りは,硬い部品を張り地でくるんで「サンドイッチ」状にしたものを3箇所に入れて補強される―これは,椅子をからだにフィットさせるためのイームズ夫妻のもうひとつの方法である。座面の沈み込みを防ぐために,張り地はフレームの上下に強く巻き付けられている。アルミニウム・チェアのコンセプトは, シガゴのオヘア空港とワシントンのダレス空港に初めて導入された施設用連結椅子システム,1962年のイームズ・タンデム・スリング・シーティングの基礎となるものであった。

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